細胞is fresh

決める、積み上げる

不摂生とエゴ

もうちょっと丁寧に振り返ってみる。

朝一は一瞬見たけど、躊躇した感があったし、なんだか気まずいのか、いつもの気軽さがなかった。だから声をかけられず、目も合わせてもらえなかった。

 

でもそれは僕の方にあって、それが映し鏡になっているのかもしれない。

こちらのコンディションや緊張が伝播したのかもしれない。

最後の最後でこちらから声をかけたけれど、それは緊張があったので精彩欠いて雑であったように思える。

僕は昨日のショックと睡眠不足でのイライラと集中力欠如を気軽に何かに依存しようとしていた。

こういう状態ってのは久しぶりだ。

結局今の知識では、その緊張に向き合う、というより感じてみるということが大事なようだ。そして落ち着く。

心理的余裕、肉体的余裕で考えると、やっぱり他人や何かのために貢献、奉仕している時になるのだろうと思った。

僕のエゴや欲望を満たそうとするダイレクトな行動は美しくないし、美しく見せるほど僕はまだ達者ではない。

でも貢献、奉仕、サポート、支援、という所だと自分のエゴや狙いがあってもそこは今くカモフラージュできて、僕自身も余裕を持つことができる。

 

なんだかわかってきた。先週まではとてもエゴイスティックな感じでそれが土日で妄想肥大したけれど、今はそれに気づけた。

不甲斐ない感じを感じ取れたから、何かに没頭しよう、肉体や精神や頭脳を鍛錬しようと思えるようになってきた。

これは啓示だ。ちょうど良いタイミングで出会えるべくして出会えたもの。

だから、もうちょっとお預けにする。

その代わり節制する。鍛錬する。他の誰か、チーム、組織、クライアント、社会の為に動いてみる。